<p>旧二月十四日 啓蟄二日目</p>
<p>3月5日に森の宿林りん館にて行われた「鹿と向き合う集い」に参加した。</p>
<p>ハンターの後藤さんとホテルメトロポリタン料理長の板花さんとのコラボ企画。</p>
<p>後藤さんの仕留めた鹿肉を使い、板花さんによるジビエ料理をいただくというもの。</p>
<p>が、ただ出てくる料理を食べる訳じゃありません。</p>
<p>まずは鹿を自分たちで解体するところから始まった。</p>
<p>当たり前だけど、食べるまえに解体するというのがミソ。</p>
<p>でも魚を下ろすのとは訳が違うのです。(魚に失礼か)なにせ相手は大型野獣の鹿ですから。</p>
<p>バッテリーがあがったというので迎えに行ってようやく到着した後藤さんの軽トラの荷台には</p>
<p>息絶えた鹿が無造作に積まれていた。</p>
<p>後藤さんが手慣れた様子でナイフで皮をはいでいく。</p>
<p>不思議なもので皮を剥ぎ取られ、関節を切断されてモモ肉の部位になると</p>
<p>途端に動物ではなく(食べる)肉という見方に変わる。</p>
<p>残酷だとかかわいそうとかいう感覚は一切なく、肉を喰らうということは</p>
<p>大変なこと(とても労力のかかること)だという認識だった。</p>
<p>家畜は別だが野生獣を食べる場合、まず猟に出て鉄砲で撃たなければならい。(わなの場合もあり)</p>
<p>これはだれでもできることではないので、免許を持つ猟師さんの仕事になるのだが</p>
<p>撃たれ内臓を抜かれた鹿を食べるところまでにするのは誰でもできる。</p>
<p>もちろん技術は必要だが、この過程を経験するというのは非常に大事と思う。</p>
<p>鳥獣駆除の為、多くの鹿が捕獲されているがこの大半は利用されることなく廃棄されているという。</p>
<p>かたや、牛、豚、鶏は輸入され一切のとさつ現場を知らずに食卓へのぼる。</p>
<p>かといって無駄に死んでいく鹿を食べることだけで問題が解決されることでもない。</p>
<p>小川村のような中間山地は鳥獣被害の問題が年々深刻で、作物を荒らされないように電柵張ったり、ネット張ったり人間も必死。</p>
<p>山が荒れる、畑が荒れる、獣がのさばる。結果人が里山に住めなくなる。これはかなりマズイ状況で放っておくわけにはいかないし、諦めるわけにもいかない。</p>
<p>どこまでが自然の姿か…というのは考え出すと答えはでないし、あまり深く考えすぎないようにしているから嘘っぽくなってしまうが、「共生」が大事かなと。</p>
<p>どこのラインをもって「共生」と言うか…難しいですね。</p>
<p></p>
<p>ところで肉を食べない理由は人それぞれだろうが、単に労力的に大変というのもありだなと思う。</p>
<p>野菜や米、麦を作って食べるのは動物を捕えて解体してさばいて食べるということに</p>
<p>比べると省力的に生命維持が出来る。</p>
<p>草食男子(?)とは言わないか…</p>
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